倉敷市の化石 化石は大昔の生物の遺体などが,れき・砂・泥などにとじ込められて固まったもので,それらがたい積してできた地層 から見つかります。市内にはマグマが冷えて固まってできた火成岩が広く分布し,化石の産出は多くありません。陸からは加須山や真備町上二万から いくらかの化石が産出しました。 意外にも,倉敷市からは,陸よりも,下津井沖の備讃瀬戸海底から 多くの化石が産出します。 |
備讃瀬戸沖の海底の
れき岩に含まれているナウマンゾウの化石 (左:切歯(キバ)/写真幅30cm,右:臼歯/写真幅30cm) |
備讃瀬戸海底には数万〜数10万年前
のれき岩や砂岩の地層があり,その中には瀬戸内海が陸地であったその時代に生きていた多くのゾウ類(ナウマンゾウ,トウヨウゾウ),シカ類,スイギュウ類など
の化石が含まれています。そして,海流でその海底の地層が削られ,洗い出されたそれらの化石が底引き網にかかって採取されることがあり,当館には市民の方
々から寄贈された1000点以上の標本が収蔵されています。 |
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まず,ゾウ類化石としては,ナウマンゾウとトウヨウゾウの化石が見つかっています。産出はナウマン
ゾウのほうが,トウヨウゾウよりも圧倒的に多いです。 ナウマンゾウは 絶滅したゾウの一種で,その名前は明治時代にゾウの化石を研究したドイツ人のエドモント・ナウマンに由来しています。日本には約25 万〜1万6000年前に生息していました。その化石は北海道から九州まで広く発見されており,かつて国内には全国的に広く生息していたものと考えられてい ます。森林や草原に生息し,植物の葉っぱを食べていました。成長すると肩までの高さが2.5m位になり,現在のアジアゾウと同じくらいの大きさでした。ナ ウマンゾウはもともと中国大陸に生息していたゾウですが,氷河期に大陸の気候が寒冷となったため,当時,大陸と陸続きであった,比較的,温かい日本に渡っ てきたと考えられています。 |
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ナウマンゾウ(上顎の臼歯)/写真幅20cm |
ナウマンゾウ(下顎の臼歯)/写真幅30cm |
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ナウマンゾウ(頭蓋骨)/写真幅30cm |
ナウマンゾウ(牙:切歯)/写真幅40cm |
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ナウマンゾウ(足の骨)/写真幅50cm |
ナウマンゾウ(背骨:脊椎骨)/写真幅20cm |
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トウヨウゾウ(別名:ステゴドン)の化石はナウマンゾウの化石と区別が難しいの
ですが,臼歯のすり合わせの面を見ると,ナウマンゾウは比較的平らなのに対し,トウヨウゾウは比較的デコボコしています。トウヨウゾウも絶滅したゾウで,
体格はナウマンゾウよりわずかに小さく,ナウマンゾウよりやや古い時代(約150万〜20万年前)に生きていたといわれています。 |
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トウヨウゾウ(臼歯)/写真幅30cm |
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参考)マンモスもゾウの仲間ですが,全身に長い毛がびっ
しりと生えており,キバも長く,ナウマンゾウよりも寒いところに住んでいました。7万〜4000年前にヨーロッパ,シベリア,北アメリカ,北海道に生息し
ていたようです。したがって,マンモスの化石は瀬戸内海からは発見されていません。臼
歯にはナウマンゾウよりも細かい筋が多くあります。 |
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マンモス(臼歯)/写真幅25cm(ポー ランド産) |
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シカ類の化石としてはニホ
ンムカシジカ,グレイ氏カトウキヨマサジカ,カズサジカなどが発見されています。これらはすべて絶滅した種で,角以外では区
別が難しいです。 |
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また,これらのゾウ類やシカ類が生息していた時代には,スイギュウ類,マヤシフゾウ,サイ類な
ども大陸から渡来し,今の瀬戸内海の地域に生息していたと考えられており,それらの化石も発見されています。 |
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スイギュウ(テイルハルドスイギュウ:下顎の骨)/写真幅30cm |
スイギュウ(足の骨)/写真幅25cm |
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マヤシフゾウ(角)/写真幅15cm |
マヤシフゾウ(足の骨)/写真幅10cm |
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サイ(足の骨)/写真幅40cm |
イノシシ(足の骨)/写真幅15cm |