釧 雲泉(くしろ うんせん)


1759(宝暦9)−1811(文化8)
日本画家。長崎県千々石町に生まれる。雲仙岳にちなみ雲泉と号する。父について長崎に出、中国人に中国語と絵画を学んだ。直接の師は明らかでないが中国の名家・董源や倪雲林、また天明年間(1781-1789)に来日した清の画家・張秋谷らの影響があったようである。1791年、江戸において親交を結んでいた備中庭瀬藩江戸家老・海野蠖斎の紹介を得て、蠖斎の実兄である庭瀬藩家老・森岡延璋のもとに腰を落ち着けたらしい。以後、しばらくの間、倉敷を中心とした備前・備中国南部で活発な制作活動を繰り広げる。1794年頃から、岡山と京・大坂をたびたび往来するようになる。1800年、岡山を去る。1806年、越後の国に赴き、1811年、同地出雲崎で没す。中国南宗画を志向した代表的画人。



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